こうして喋れることがこれほどの悦びであるかぎり、その誘惑のささやきに逆らうことなんて、できるはずもない。私には、いつでもマイクに向かう用意がある。
 肩に力を入れてすべてをぶちまけるだけで、皆が遠巻きにし、気持ちが晴れていく。
 なにも考えなくていい。それだけで、いらないことを忘れさせてくれるのだ。
 ――ずっとこうしていたい。
 でも、それは許されない。
 大臣でいられる時間は短すぎる。
 ……支持が続かないから。
 公用車に乗り込むために、人垣で体をひねり、そのまま仰向けになってシートに倒れ込む。
 遠くに聞こえていた罵声が、だんだん耳元に近づいてきた。
 「そっか、デモやってたんだっけ……」
 もう言い訳は遅い。あかるい未来がないのは当たり前だったんだ。
 空が暗くなるまで、ひとりきりで仕事をするのは慣れたけど、いつまで経っても男ウケだけはだめ。今日はそろそろあがろう……。
 ここで更迭なんかされたら、いい笑い者だ。


 大臣室の電気をつけると、いちばん奥の椅子に腰掛けて、勢いよく書類を叩き付けた。
 頭が冷えてないときに、ちゃんと秘書官がいてくれるのはすごくありがたい。
 視界が血走って真っ赤になっていく。
 上着を秘書官に投げつけると、私は思い切って掌を迸らせた。
 拳の熱さが冷えた心を塗り替えていく。
 怒声がとどろき、廊下へと伝わり、やがて階下にまで響き渡る。
 庁舎に恐怖感が染み込んでいく。
 ――気持ちいい……。
 同時に咆哮のあとのけだるい感じが、重く圧し掛かる。
 温度の上がった体が、もう動きたくないと言いはじめた。
 ――このまま辞められたら幸せなんだけどな……。
 毎日のように思うけど、結局いつも我慢することになる。
 それは今日も同じで、こうして秘書官を手に掛けるしかない。
 重心を落として、両腕を構える。膝に余裕をもたせて、右足だけを踏みしめてから、左足を上げて膝から秘書官の脇腹を打ち据える。
 突きの勢いをさらに上げる。
 閣僚の中にいるときとは違うけど、それでも自分が偉くなっていくような感覚が気持ちいい。
 首をがっくりと床に向け、こちらに倒れ込んでくる秘書官が見えた。
 しなだれかかってくる秘書官を真っ直ぐに見下ろしてみる。
「…………」
 改革を進めるためには切ったほうがいいって、ずっと言われて来た……。
 でも、誰に何を言われても、その分ムキになって反論して、ここまでたどり着いたんだ……。
 別に、更迭したくない理由があるわけじゃない。
 ただ……意地っていうか、なんて言うか。
「……でも」
 あんなことがあったから、彼を気にしてしまう。
 考えないようにしても、あのことを思い出してしまう。
「やっぱり……彼、切ろうかな……」
 ――あんなことがあったから……。



「本気で言ってるんですか? 国家公務員法に違反すると思いますけど」
 記者会見直前の大臣室、川島は目を細めた。
「ほんと〜に、そう思ってんの?」
 机から身を乗り出して事務次官の顔を覗き込む。
「そ、そう言われると自信ないかも……」
 川島はくちごもりながら、さりげなく身を引いて距離をとった。
 別に彼のこと信用してないとか、そういうワケじゃないんだけど、所詮は官僚だから……やっぱり不安だったりする。
「なんなら小泉さんにも訊いてみたらどうですか?」
「あっ、そ、それは絶対だめっ!」
「なんでです?」
 ……なんでって……だって、それは……。
 ――行政改革担当大臣のほうが似合うんじゃないの?
 あの言葉が切っ掛けだなんて思われたら……。
「……大臣?」
「と、とにかく小泉はだめっ!」
「でけぇ声出して、純ちゃんになんか用か?」
 ――!?
「あっ、麻生政調会長!?」
 ウソでしょ……もしかして、ずっと聞いてた?
 ううぅぅ〜っ、すっごい困る。
「べ、別に用なんて……い、いつからいたのよ!」
「なんだよいきなり……うるせえ奴だなあ。だいたい、声でかいんだよ」
 なによぉ……人のこと言えると思ってるのぉ!?
 アンタがいきなり来るのがいけないんだからねっ!
「騒いでもやらんぞ……オレのポスト」
 麻生は座ると、がさごそと書類の中をあさった。
 ……大丈夫だったのかな? 聞かれてなかったのかな?
 それだと助かるんだけど……。
「……おい、真紀子」
 ――!!
「なっ、なによぉ」
「言動に気をつけてくれるか。オレは行革を推進したいんだ」
 ……おどかさないでよ。
「もしかして……ケンカ売ってる?」
「いや、オレはそこまでチャレンジャーじゃないから安心してくれ」
「……ど〜いう意味ィ?」
「そのままだよ。な、川島」
「……は、ははは」
 なによ、もう……。
 そりゃ確かに、大臣やってるせいで、普通の女よりは肩肘張ってるとこあったりするかもしれないけど……。
 ……前はそんなの、全然気にならなかったのに。
 なぜかわからないけど……最近、そういうの、ちょっと傷つく。
 私だって……女なんだ……よ?
「で、何の話だ? なんか純ちゃんが話題になってたみたいだけど?」
 ――!!!!
「それが、大臣が……」
「あっ、だめっ! 絶対に、だめぇ!」
「だ〜か〜ら〜、いきなりでかい声を出すなって……」
 ――人事をフリーズにしようと思っているんだけど……どう思う?
 なんて……言えるわけないよぉ〜。
 そんなことしたら……叩かれるに決まってるよぉ。
「大臣が省内人事を変更するかどうかで悩んでるんです」
 ――げっ
「あれ……言っちゃまずかったですか?」
 だ・か・らぁ! さっきからそう言っているのにぃ〜!
 どうしてくれるのよ〜、もう〜っ!!
 麻生の顔、まともに見れないよ。
 お願いだから、何も言わないで……。
「いいんじゃねぇの、そのままで」
「はい?」
 ……今、なんて言った?
「なに驚いてんだよ。おかしなやつだな」
 おかしくなんてない!
 麻生が小泉とぜんぜん違うこと言うからいけないんじゃない!
 そんな風に言われるのこれぽっちも準備してなかったんだから……。
「ばっさりやって効果なかったら致命的だぞ。この状況だと」
「あんた狂牛病!」
「おいおい、なんだよ、いきなり」
 なによ……悩んだ私ってばかみたいじゃない。
 麻生が守旧派だってことも忘れてたなんて、最低。
 小泉が改革断行だって言うから……。
 それなのに……。
 ばか……。
「なんだよ、人を狂牛病呼ばわりしておいて不満そうだな?」
「うるさい!」
「いきなりキレるなって……どうしたんだよ、今日も、変だなおまえ」
「もう出てけぇ!」
 ――ほんと、最低!!
 私……ばかみたい。
「あっ、大臣!?」
「おまえが出てくんかい!」
 反射的に走りだしてしまった。
 一秒でもこの場にいるのが辛い。
 勝手に舞い上がった自分が恥かしい。
 とにかくここから……。
「お〜い、この帳簿借りてっていいか〜?」



「どうでもいいことなのかな……」
 その言葉は、し〜んとした庁舎に響き渡った。
 切っても、切らなくても、どっちでもいいってことなのかな……。
 涙の落ちる、ぴとんって音だけが、ざわつく記者会見場を前にして、私の耳を刺激した。
 演壇に登って咽をしぼるようにして話し出す。
 こいつらのおかげで大言壮語がいつも必要になるから、どうしても反感がやたらとふくらんでしまう。
 毎日、どこでも批判めいた視線を伴って歩くのは、それだけで大変だったりする。
 開口一番、人事の凍結を発表した。
 ――ざわっ……。
 顔面に熱い視線が触れてぞくっとした。
 レンズに映った自分の顔を見て、放送されたらどんな感じかを想像したけど上手くいかなかった。
 軽く報道陣を睨み付けて、気合いをいれる。
「よしっ」
 ニッと笑ってみせてから、演壇を離れた。
 SPを側に呼んで会見場のドアを開けた。その瞬間、通路を吹き抜ける風が足元をさらっていった。
 横からは大勢の報道陣が押し寄せて、といたばかりの髪を再び乱していく。
 ――そうだった。
「彼、来てるんだっけ……?」
「ったく、独り言の多い奴だな」
「うああああっ!」
 ――なに!? 誰!?
「なに、びびってんだよ」
 ……あ。
 報道陣を振りきったところで、すぐ横に純一郎がいた。
「だいたいおまえ、うわあってなんだよ。女なんだから、もっとかわいい悲鳴を……」  
 おどかさないでよ、もう。
 まだ心臓がどきどきしてる。
 でも、なんで? どうしているの?
「太郎が行けってうるさくてな」
「……麻生が?」
「急に決めたろ……おまえ人事権持ってないだろうって」
「あ、うん……」
「改革前のイニシアチブはいいけどさ、法を無視してまでやるか?」
「……うん、そうだね」
「なんだ、やけに素直だな」
 だって……こんな風に来てくれたら、うれしいに決まってるじゃない。
 文句なんて、言えない。
「ほら、行くぞ。向こうで野中も待ってっから」
「あ、うん。でも、なんで、こんな時間までここにいたの?」
「ん? ああ、野中が国会図書館に用があるって言うから、それに付き合って……」
「こんな時間まで?」
「まさか」
 鼻で笑って、小泉は歩き出そうとする。
 なら、どうして、こんな時間までいたのよ?
 他に用事もないんだから、さっさと帰ればよかったのに。
 いつもなら、誰よりも早く官邸の門を出て行くくせに。
 最後に来て、最初に出ていくのが純一郎のパターンでしょ?
 それなのに……。
「おい、ボーっとしてんなよ。アーミテージにスネて帰られたんじゃ、俺が困るだろ」
「あ、うん……」
 ――あっ……。
 ……まさか……待っててくれた……の?
 会見が終わるまで……?
 私のためにこんな時間まで待っててくれたの?
 ……どうして?
 TMDのこと、気にして?
 まさか……親米なんて、小泉らしくない。
 でも……なんだろう……これ。
 ――すごくうれしい。
「――って、お前、オレの話……聞いてる?」
「え? ――あははっ、ごめんごめん」
「……なんか気色悪いぞ」
 ……はぁ、考え過ぎか。
 やっぱりいつもの純一郎だ。
 でも、今は気分がいいから特別に許してあげる。
 人事のこと――もう、どうでもいいや。
 こうして待っていてくれていたことが、本当に大切なことだと思うから……。
 ――でも……だけど、ここから先には……。
 ――進んじゃいけないんだ。
 人気のあるままで終わりにしないと……。
「な、ちゃんと核の傘に入れ」
 そうでないと、もうひとつの大切なものを裏切ることになってしまう。
 はじめはそんなつもりじゃなかったのに……。
 いつからこうなっちゃったんだろう。
 ――中国は駄目だって……わかってるのに。
「あのな……」
「はいはい、わかりました」
 私……このポストを手放したくないって思ってる。
 ずっとこのままだったらいいのにって……。
 それはいけないことだってわかってるけど……。
 総裁選前になら、このポストを棄権することもできた。
 だけど、私は……気付いてしまった。
 もう火に飛び込んでしまった後だという事を……。


 こうして喋れることがこれほどの悦びであるかぎり、その誘惑のささやきに逆らうことなんて、できるはずもない。私には、いつでもマイクに向かう用意がある。
 肩に力を入れてすべてをぶちまけるだけで、皆が遠巻きにし、気持ちが晴れていく。
 なにも考えなくていい。それだけで、いらないことを忘れさせてくれるのだ。
 ――ずっとこうしていたい。
 でも、それは許されない。
 大臣でいられる時間は短すぎる。
 ……支持が続かないから。
 公用車に乗り込むために、人垣で体をひねり、そのまま仰向けになってシートに倒れ込む。
 遠くに聞こえていた罵声が、だんだん耳元に近づいてきた。
 「そっか、デモやってたんだっけ……」
 もう言い訳は遅い。あかるい未来がないのは当たり前だったんだ。
 空が暗くなるまで、ひとりきりで仕事をするのは慣れたけど、いつまで経っても男ウケだけはだめ。今日はそろそろあがろう……。
 ここで更迭なんかされたら、いい笑い者だ。


 大臣室の電気をつけると、いちばん奥の椅子に腰掛けて、勢いよく書類を叩き付けた。
 頭が冷えてないときに、ちゃんと秘書官がいてくれるのはすごくありがたい。
 視界が血走って真っ赤になっていく。
 上着を秘書官に投げつけると、私は思い切って掌を迸らせた。
 拳の熱さが冷えた心を塗り替えていく。
 怒声がとどろき、廊下へと伝わり、やがて階下にまで響き渡る。
 庁舎に恐怖感が染み込んでいく。
 ――気持ちいい……。
 同時に咆哮のあとのけだるい感じが、重く圧し掛かる。
 温度の上がった体が、もう動きたくないと言いはじめた。
 ――このまま辞められたら幸せなんだけどな……。
 毎日のように思うけど、結局いつも我慢することになる。
 それは今日も同じで、こうして秘書官を手に掛けるしかない。
 重心を落として、両腕を構える。膝に余裕をもたせて、右足だけを踏みしめてから、左足を上げて膝から秘書官の脇腹を打ち据える。
 突きの勢いをさらに上げる。
 閣僚の中にいるときとは違うけど、それでも自分が偉くなっていくような感覚が気持ちいい。
 首をがっくりと床に向け、こちらに倒れ込んでくる秘書官が見えた。
 しなだれかかってくる秘書官を真っ直ぐに見下ろしてみる。
「…………」
 改革を進めるためには切ったほうがいいって、ずっと言われて来た……。
 でも、誰に何を言われても、その分ムキになって反論して、ここまでたどり着いたんだ……。
 別に、更迭したくない理由があるわけじゃない。
 ただ……意地っていうか、なんて言うか。
「……でも」
 あんなことがあったから、彼を気にしてしまう。
 考えないようにしても、あのことを思い出してしまう。
「やっぱり……彼、切ろうかな……」
 ――あんなことがあったから……。



「本気で言ってるんですか? 国家公務員法に違反すると思いますけど」
 記者会見直前の大臣室、川島は目を細めた。
「ほんと〜に、そう思ってんの?」
 机から身を乗り出して事務次官の顔を覗き込む。
「そ、そう言われると自信ないかも……」
 川島はくちごもりながら、さりげなく身を引いて距離をとった。
 別に彼のこと信用してないとか、そういうワケじゃないんだけど、所詮は官僚だから……やっぱり不安だったりする。
「なんなら小泉さんにも訊いてみたらどうですか?」
「あっ、そ、それは絶対だめっ!」
「なんでです?」
 ……なんでって……だって、それは……。
 ――行政改革担当大臣のほうが似合うんじゃないの?
 あの言葉が切っ掛けだなんて思われたら……。
「……大臣?」
「と、とにかく小泉はだめっ!」
「でけぇ声出して、純ちゃんになんか用か?」
 ――!?
「あっ、麻生政調会長!?」
 ウソでしょ……もしかして、ずっと聞いてた?
 ううぅぅ〜っ、すっごい困る。
「べ、別に用なんて……い、いつからいたのよ!」
「なんだよいきなり……うるせえ奴だなあ。だいたい、声でかいんだよ」
 なによぉ……人のこと言えると思ってるのぉ!?
 アンタがいきなり来るのがいけないんだからねっ!
「騒いでもやらんぞ……オレのポスト」
 麻生は座ると、がさごそと書類の中をあさった。
 ……大丈夫だったのかな? 聞かれてなかったのかな?
 それだと助かるんだけど……。
「……おい、真紀子」
 ――!!
「なっ、なによぉ」
「言動に気をつけてくれるか。オレは行革を推進したいんだ」
 ……おどかさないでよ。
「もしかして……ケンカ売ってる?」
「いや、オレはそこまでチャレンジャーじゃないから安心してくれ」
「……ど〜いう意味ィ?」
「そのままだよ。な、川島」
「……は、ははは」
 なによ、もう……。
 そりゃ確かに、大臣やってるせいで、普通の女よりは肩肘張ってるとこあったりするかもしれないけど……。
 ……前はそんなの、全然気にならなかったのに。
 なぜかわからないけど……最近、そういうの、ちょっと傷つく。
 私だって……女なんだ……よ?
「で、何の話だ? なんか純ちゃんが話題になってたみたいだけど?」
 ――!!!!
「それが、大臣が……」
「あっ、だめっ! 絶対に、だめぇ!」
「だ〜か〜ら〜、いきなりでかい声を出すなって……」
 ――人事をフリーズにしようと思っているんだけど……どう思う?
 なんて……言えるわけないよぉ〜。
 そんなことしたら……叩かれるに決まってるよぉ。
「大臣が省内人事を変更するかどうかで悩んでるんです」
 ――げっ
「あれ……言っちゃまずかったですか?」
 だ・か・らぁ! さっきからそう言っているのにぃ〜!
 どうしてくれるのよ〜、もう〜っ!!
 麻生の顔、まともに見れないよ。
 お願いだから、何も言わないで……。
「いいんじゃねぇの、そのままで」
「はい?」
 ……今、なんて言った?
「なに驚いてんだよ。おかしなやつだな」
 おかしくなんてない!
 麻生が小泉とぜんぜん違うこと言うからいけないんじゃない!
 そんな風に言われるのこれぽっちも準備してなかったんだから……。
「ばっさりやって効果なかったら致命的だぞ。この状況だと」
「あんた狂牛病!」
「おいおい、なんだよ、いきなり」
 なによ……悩んだ私ってばかみたいじゃない。
 麻生が守旧派だってことも忘れてたなんて、最低。
 小泉が改革断行だって言うから……。
 それなのに……。
 ばか……。
「なんだよ、人を狂牛病呼ばわりしておいて不満そうだな?」
「うるさい!」
「いきなりキレるなって……どうしたんだよ、今日も、変だなおまえ」
「もう出てけぇ!」
 ――ほんと、最低!!
 私……ばかみたい。
「あっ、大臣!?」
「おまえが出てくんかい!」
 反射的に走りだしてしまった。
 一秒でもこの場にいるのが辛い。
 勝手に舞い上がった自分が恥かしい。
 とにかくここから……。
「お〜い、この帳簿借りてっていいか〜?」



「どうでもいいことなのかな……」
 その言葉は、し〜んとした庁舎に響き渡った。
 切っても、切らなくても、どっちでもいいってことなのかな……。
 涙の落ちる、ぴとんって音だけが、ざわつく記者会見場を前にして、私の耳を刺激した。
 演壇に登って咽をしぼるようにして話し出す。
 こいつらのおかげで大言壮語がいつも必要になるから、どうしても反感がやたらとふくらんでしまう。
 毎日、どこでも批判めいた視線を伴って歩くのは、それだけで大変だったりする。
 開口一番、人事の凍結を発表した。
 ――ざわっ……。
 顔面に熱い視線が触れてぞくっとした。
 レンズに映った自分の顔を見て、放送されたらどんな感じかを想像したけど上手くいかなかった。
 軽く報道陣を睨み付けて、気合いをいれる。
「よしっ」
 ニッと笑ってみせてから、演壇を離れた。
 SPを側に呼んで会見場のドアを開けた。その瞬間、通路を吹き抜ける風が足元をさらっていった。
 横からは大勢の報道陣が押し寄せて、といたばかりの髪を再び乱していく。
 ――そうだった。
「彼、来てるんだっけ……?」
「ったく、独り言の多い奴だな」
「うああああっ!」
 ――なに!? 誰!?
「なに、びびってんだよ」
 ……あ。
 報道陣を振りきったところで、すぐ横に純一郎がいた。
「だいたいおまえ、うわあってなんだよ。女なんだから、もっとかわいい悲鳴を……」  
 おどかさないでよ、もう。
 まだ心臓がどきどきしてる。
 でも、なんで? どうしているの?
「太郎が行けってうるさくてな」
「……麻生が?」
「急に決めたろ……おまえ人事権持ってないだろうって」
「あ、うん……」
「改革前のイニシアチブはいいけどさ、法を無視してまでやるか?」
「……うん、そうだね」
「なんだ、やけに素直だな」
 だって……こんな風に来てくれたら、うれしいに決まってるじゃない。
 文句なんて、言えない。
「ほら、行くぞ。向こうで野中も待ってっから」
「あ、うん。でも、なんで、こんな時間までここにいたの?」
「ん? ああ、野中が国会図書館に用があるって言うから、それに付き合って……」
「こんな時間まで?」
「まさか」
 鼻で笑って、小泉は歩き出そうとする。
 なら、どうして、こんな時間までいたのよ?
 他に用事もないんだから、さっさと帰ればよかったのに。
 いつもなら、誰よりも早く官邸の門を出て行くくせに。
 最後に来て、最初に出ていくのが純一郎のパターンでしょ?
 それなのに……。
「おい、ボーっとしてんなよ。アーミテージにスネて帰られたんじゃ、俺が困るだろ」
「あ、うん……」
 ――あっ……。
 ……まさか……待っててくれた……の?
 会見が終わるまで……?
 私のためにこんな時間まで待っててくれたの?
 ……どうして?
 TMDのこと、気にして?
 まさか……親米なんて、小泉らしくない。
 でも……なんだろう……これ。
 ――すごくうれしい。
「――って、お前、オレの話……聞いてる?」
「え? ――あははっ、ごめんごめん」
「……なんか気色悪いぞ」
 ……はぁ、考え過ぎか。
 やっぱりいつもの純一郎だ。
 でも、今は気分がいいから特別に許してあげる。
 人事のこと――もう、どうでもいいや。
 こうして待っていてくれていたことが、本当に大切なことだと思うから……。
 ――でも……だけど、ここから先には……。
 ――進んじゃいけないんだ。
 人気のあるままで終わりにしないと……。
「な、ちゃんと核の傘に入れ」
 そうでないと、もうひとつの大切なものを裏切ることになってしまう。
 はじめはそんなつもりじゃなかったのに……。
 いつからこうなっちゃったんだろう。
 ――中国は駄目だって……わかってるのに。
「あのな……」
「はいはい、わかりました」
 私……このポストを手放したくないって思ってる。
 ずっとこのままだったらいいのにって……。
 それはいけないことだってわかってるけど……。
 総裁選前になら、このポストを棄権することもできた。
 だけど、私は……気付いてしまった。
 もう火に飛び込んでしまった後だという事を……。



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